【事務長】小学生の頃に経験した平和祈念(広島派遣)事業

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はだしのゲン」という漫画をご存じだろうか。小学3年生の頃、私が通っていた小学校の学級文庫になぜかこの漫画が全10巻全て置かれていて、朝の読書時間や休み時間に繰り返し読むのが、ベーブ・ルースの伝記文庫と並んで男子の間ではちょっとしたブームだった。読んだことがある人は分かるかもしれないが、第二次世界大戦を題材とした”半フィクション”作品で、戦争によって広島県に原子爆弾が投下され被ばくした主人公の成長と生き抜くさまが描かれている。当時の私は想像すらできない世界観であったが、その非日常加減にどこか没頭していたのかもしれない。

小学5年生だったかのある日、教頭に呼び出された。特別悪いことはしていなかったが、普段会わない先生に呼び出されるとなぜか緊張するのはおそらくどの学校でも、そしてどの家庭でも同じだろう。当時児童会長を任されていた私は、教頭から「苫小牧市の平和祈念事業に参加しないか」と紹介を受けた。どうやら市内の小中学生数名がこの事業に推薦されるらしく、その一人として候補に選ばれたようだった。緊張で教頭の話が右から左で、なんのこっちゃさっぱり分からなかったが、貴重な体験には違いない。私は事業への参加を決めた。

後日市役所に到着すると、見知らぬ市の職員、小中学生数名と学校の先生がそこにいた。ここでもまた緊張しながら説明を受けると、この事業は「広島県を訪問して、原爆ドーム広島平和記念資料館を見学したり、被ばく者の体験談を聞いたり、戦争の歴史と悲惨さを真面目に勉強しに行く」ということだった。冒頭紹介した「はだしのゲン」を飽きるほど読み込んでいた私にとっては、大体どんな内容なのか理解するまで時間を要さなかった。が、それはあくまで漫画の世界の話。事前の研修と市長の表敬訪問(当時は櫻井忠市長であった)を経て、派遣団は広島へと飛んだ。

強く印象に残っていることが2つある。1つは平和祈念資料館で8時15分を永遠に示す時計だ。教科書や資料集で見たことがあるけど、正直何なのかよく分からないというのがボンクラ小学生の考えることだった。だが一見、ただ古びた時計のように見えたものの、どことなくその面影には重圧を感じざるを得ず、直視することすら気が引けたのを覚えている。こどもながらにこれが何を意味したのかが何となく分かったのだと思う。もう1つは被ばく者で語り手の沼田鈴子さんだ。特に忘れられないのが、麻酔なしで足を切断しなければならなかった話だ。戦中では薬品も満足に手に入らず、足を切断しなければ生きられないと宣告され、沼田さんは英断した。当時の辛かった心中や思いを余すことなく聞き入れたが、それが「はだしのゲン」の描写と重なると、例えば自分が沼田さんの立場だったらどうしていただろう、と答えも出ない浅はかな疑問が頭をよぎった。

あれから十数年経った今、苫小牧市では「非核平和事業」と名を変え、沼田さんは2011(平成23)年に不帰の客となり、私はといえば昔の記憶も薄まってきてしまっている中で、このような貴重な機会をより多くの生徒が体験し感じたことを発信して欲しいと思いこの記事を書いた。この経験が直接的に私の生活に何か影響を及ぼしたかはまだ分からないが、戦争がどれだけ悲惨で尊い命を奪うものかを、終戦から70年を超える年月が経った今も語り継ぐことが、今日の日本を守り支えてきた先人達と英霊に向ける最大の敬意であると考えている。こうした取り組みを規模の大小に拘らず広く実施し、継続性のある事業として成長させて欲しいと切に願っている。

//執筆:事務長
//更新日:毎週土曜日9時頃
//コンセプト:"誰も読まない"

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